環境モデル都市、環境未来都市、そして SDGs 未来都市へ ~ 自治体の新たなる挑戦 ~

日本で環境問題に対する関心が高まるきっかけになったのは、高度経済成長期の頃に発生した公害だったといわれています。当時、環境問題は限定的な地域で発生し、工場や企業が対策を行うものと考えられていました。
それから 70 年近い年月が経ち、今では環境問題は世界が協力して長期的な目標のもとに取り組むものとされています。

ここでは、環境モデル都市、環境未来都市から SDGs 未来都市へ、環境問題に対する意識の移り変わりと共に変わってきた自治体の環境に対する取り組みについて解説します。

 

環境問題への意識の変化と主な動き

環境問題に対する意識の変化をかんたんにまとめると、おおよそ次のような流れになります。

・1950 年代 日本で環境問題が注目されるようになる
・1970 年代 公害対策に関する法律が整備される
・1980 年代 環境問題が「地球」環境問題としてとらえられるようになる。「持続可能性」の概念がうまれる
・1990 年代 東西冷戦終結をきっかけに、オゾン層問題や温暖化問題に対し国際的な取り組みがはじまる
・2000 年代 先進国が主体となって環境問題に取り組む。MDGs として途上国の貧困や教育などの課題解決が目指される
・2010 年代 先進国、途上国すべての国が一丸となり、環境だけでなく経済や社会の問題にも取り組むようになる

日本で環境問題が強く注目されるようになったのは 1950 年代の高度経済成長期の頃でした。工業化が急速に進む一方で、深刻な公害がいくつも発生したためです。

このようなことから、日本では 1970 年代に入ると公害対策に関する法律も整備され、人々の間にも環境に対する意識が広がっていきます。まだこの頃は、環境問題というのは、限定された地域に発生するもので、工場や企業が対策を行うという考え方が主流でした。

しかし1980 年代になるとオゾン層破壊問題や酸性雨、地球温暖化などの問題が注目を集め、環境問題解決のためには国際的な協力が欠かせないという意識が生まれます。環境問題が「地球」環境問題とよばれるようになり、地域や国を超えたグローバルな問題であるという認識に変わっていったのです。

そして 1992 年には国連環境開発会議 (地球サミット)も開かれ、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が採択されました。さらに 1997 年には京都議定書が採択され 2008 年から 2012 年の間に温室効果ガスを減らす具体的な目標数値も示されました。また、オゾン層を破壊していたフロンガスに替わる物質が多く開発されたこと、さらにこの代替フロンが非常に高い温室効果をもっていたこともあり、環境問題として語られる文脈が、公害やオゾン層破壊から地球温暖化対策へと移っていきます。とはいえ、当時はまだ、環境問題は先進国が率先して取り組むべき問題とされてきました。

この認識が大きく変わったのは 2010 年代です。環境問題は先進国だけでなく途上国も含めた全ての国が参加して解決するべき問題となりました。また環境問題だけでなく、経済や社会の問題にも、世界全体が協力して取り組まなければならないという意識が生まれます。そして 2015 年には SDGs(持続可能な開発目標)が採択されたのです。また同じく 2015 年にはパリ協定への合意がなされ、地球温暖化対策として、温室効果ガスの一種である CO2 の排出を抑える低炭素、脱炭素や、私たちの生活に伴って排出される CO2 と森林などが吸収する CO2 の量をトータルで 0 にするカーボンニュートラルなどの考えが広がりました。

このように環境問題に対する意識は、公害から環境問題、地球環境問題、SDGs、カーボンニュートラルと、形を変えてきたのです。

環境モデル都市、環境未来都市、そして SDGs 未来都市へ

日本では、環境対策は人々の生活に強く密着するものという考えのもと、政府が主導して行う環境対策だけでなく、自治体がそれぞれの特徴や強みを活かした、地域密着型の取り組みを行うことが推奨されています。そこで、他の手本となり得る取り組みを行っている自治体をモデル都市として選定し、さまざまな支援を行ってきたのです。
環境問題に対する意識や世界の取り組みが変化していく中、行政が目指す都市の形は、これまでに次のような変化を遂げてきました。

・1993 年 環境共生モデル都市
・2008 年 環境モデル都市
・2011 年 環境未来都市(環境モデル都市の中から選ばれる)
・2018 年 SDGs 未来都市

1993 年にスタートした環境共生モデル都市、通称「エコシティ」では、環境負荷の軽減や人と自然の共生などが掲げられました。

その後、自治体のあるべき姿として、2008 年に環境モデル都市の取り組みがはじまります。環境モデル都市のコンセプトは、地域資源を最大限に活用し、分野横断的かつ主体間の垣根を越えた取り組みが行われている都市です。2008 年から 2014 年までの 6 年間に、北海道帯広市などをはじめとする 23都市が選定されました。

さらに 2011 年には「持続可能な経済社会システム」というコンセプトが盛り込まれた環境未来都市構想がスタートします。その後 2015 年の SDGs の採択やパリ協定の合意を受け、2018 年の SDGs 未来都市が、自治体のあるべきモデルとされるようになりました。

環境未来都市とは?新しい未来へつなげる取り組み事例

環境未来都市とは、持続可能な経済社会システムを持った地域づくりを目指すものです。23 の環境モデル都市の中から、環境や高齢化、地域独特の課題への対応を評価し、11 の都市や地域が選ばれました。

「誰もが暮らしたいまち」「誰もが活力あるまち」をコンセプトに、それぞれの地域特性を活かし、環境・社会・経済の価値を向上させることや、持続可能な経済社会システムを実現する都市・地域づくりを行うことを目的としています。そしてさらに、世界に類のない成功事例を作り出すことを目指しています。

環境未来都市においては、産民学と自治体からなる共同企業体が、共同で電力供給などのサービスを手がける他、国からの助言、資金提供、制度改革などの支援が受けられます。

続いては、環境未来都市の取り組みの実例を紹介しましょう。

日本から世界基準を目指す「再エネ 100%北九州モデル」

北九州の環境への取り組みの歴史は古く、八幡製鐵所などをはじめとする重化学工業の工場による大気汚染などの公害対策からスタートしました。排出される煙だけに着目するのではなく、生産工程から低公害を目指したクリーナープロダクション技術など、その当時から現代の SDGs に通じる構想をもって、公害対策にあたってきたのです。公害克服後、1980 年代には全国や世界に先駆けて循環型社会のモデルとなるエコタウンを構築。2008 年に環境モデル都市の取り組みが始まると、北九州市はいち早くこれに認定されました。

エコタウン事業とは「あらゆる廃棄物を原料として活用し、最終的に廃棄物をゼロにすること」つまりゼロ・エミッションを目指す事業です。自動車や家電製品、建築廃材などのリサイクル工場を集約し「総合環境コンビナート」を作っています。また、大学や研究機関と連携し、リサイクルにおける基礎研究から技術開発、事業化までを行っています。

他にも、工場の排熱を利用したコジェネレーションシステムや、工場の屋根を利用した太陽光発電などが行われていました。2011 年頃からは、大規模風力発電の導入や身近な場所での再生可能エネルギーの導入をすすめ、環境未来都市、さらには SDGs 未来都市にも選定されました。

震災を乗り越えた東松島市が SDGs 未来都市になるまでの軌跡

宮城県東松島市は、2011 年の東日本大震災で大きな被害を受けました。そこからの地域復興や防災対策にエネルギーマネジメントや SDGs の構想を取り込むことで、2011 年の環境未来都市、2018 年の SDGs 未来都市に選定されました。

東松島市が取り組んだのは、日本初の地産地消型防災エコタウンでした。東松島市は古くから、国内外の地震の影響による津波の被害に見舞われています。そのため、防災対策が地域課題の一つに挙げられています。そのため、エコと同時に防災への取り組みも行われました。

東松島市では 11 月から 6 月までの季節風を利用した川沿いでの風力発電の他、晴天が多い地域性を利用した太陽光発電を元に、2016 年から新電力をスタート。マイクログリッドを利用した災害公営住宅への電力供給などを開始しました。また、公共施設の駐車スペースを利用したソーラーカーポートも導入され、非常時には電源として利用するほか、電気自動車のバッテリーを利用したエネルギーマネジメントにも利用されました。

次なるステップ「SDGs 未来都市」

国や自治体の環境問題に対する取り組みは、環境に対する理解の深まりや、国際的な関心の変化と共に変遷してきました。そのような中で、これまで続けられてきた環境モデル都市、環境未来都市などの取り組みからさらに進み、2022 年現在、都市が目指す形として掲げられているのが「SDGs 未来都市」です。

日本では「地方創生 SDGs」として、持続可能なまちづくりや地域活性化の取り組みの中に SDGsの理念を取り込むことが推奨されています。環境問題に加え、地域課題の解決の手段として SDGs の推進が挙げられたのです。そして優れた取り組みを行っている自治体を SDGs 未来都市として選定することになりました。その中でも特に優れた取り組みは「自治体 SDGs モデル事業」に選ばれ、国からの支援が行われます。

2022 年度の SDGs 未来都市には 30 都市が選定され、この中から、東京都足立区や鳥取県、岐阜県恵那市などがモデル事業として選定されました

「SDGs 未来都市」への発展を目指す

このように、日本の自治体の環境への取り組みは、時代と共に変化を遂げてきました。当初は地域の限定的なエコの取り組みだったものが、世界的な視野を持ち、災害対策や高齢化社会対策などの社会的課題も含めた解決へとつながっています。

SDGs 未来都市では、日本全体における持続可能な経済社会づくりが推進され、優れた取り組みが世界へと発信されています。カーボンニュートラルや SDGs などの新しい概念とともに、SDGs 未来都市はさらなる発展を遂げていくでしょう。

まとめ

1950 年代からスタートした環境問題に対する意識は、70 年近い年月の中で、公害から環境問題、地球環境問題、SDGs、カーボンニュートラルと形を変えてきました。それに伴い、日本の自治体が目標とする姿も、環境共生モデル都市からスタートし、環境モデル都市、環境未来都市、そして SDGs 未来都市へと変化してきました。

 

【参考】